今年の中秋の名月は9月29日。澄んだ空気の中で月を愛でましょう。と始めるつもりだったが、
いや、旧暦、新暦の話が関係してくる、と思い、そこからひも解くことにした。
さて、旧暦という言葉がある。七夕もお盆も中秋の名月も、旧暦の時代から続くもので、
そのために「今日は、旧暦でいう七夕です。」などと表現し、ちょっと戸惑いもするが、
新暦と旧暦が存在すること自体が、奥深い季節感を醸し出しているようにも思われる。
暦には大別して「太陽暦」と「太陰暦」がある。
≪太陽暦≫
太陽の年周運動を元にして1年の長さを決める暦で、古代社会ではエジプトやマヤの暦が
1年の長さを365日とする太陽暦だった。現在、ほぼ世界共通で使われているグレゴリオ暦もまた、
1年の長さを365.2425日とする高精度の太陽暦だ。
≪太陰暦≫
メソポタミア、ギリシャ、中国では、その最初の暦は「太陰暦」だった。陰とは月のことで、
つまり、月を元にした暦だ。新月から満月になりまた新月に戻る月の周期を1朔望月といい、
およそ29.5日。これを12回繰り返すと354日となる。まず、29.5なので、29日の月と30日の月を
交互に並べて、1年を354日とする。このように月の満ち欠けを基準とした暦が太陰暦である。
1日は毎月新月であり、15日は(ほぼ)毎月満月となる大変わかり易い暦である。
しかし、地球の公転周期の365日と11日のずれが生じる。
≪太陰太陽暦≫ ・・・・・太陰暦の補正版
このずれを補正するにはどうするか?
19回の太陽年が、19年分の朔望月に7回の朔望月を加えたものにほぼ一致する。
365*19=6935
29.5*12*19 + 29.5*7=6932.5
このことから、19年の間に7回の朔望月を加える、つまり、2年から3年に1回づつの
閏月を挿入すればよいこととなる。
太陰太陽暦では、通常の1年は354日だが、閏月が入る年は384日前後の長い1年となる。
これでかなり誤差は縮まったのだが、それでも、19年で3日程度のずれが生じる。
日本では、この様な太陰太陽暦が明治5年まで続いた。この暦を一般に「旧暦」と呼んでいる。
≪太陽暦:ユリウス暦≫
さて、西洋の話。古代ローマでは、1年が354日の素朴な太陰暦が使われていた。
が、シーザーがエジプト遠征をした際、エジプトの非常にすぐれた暦(太陽暦)の存在を知って、
これをローマに持ち帰る。そして、これがユリウス暦であり、4年に1回の閏年を入れることで誤差を縮めた。
相当に誤差は縮んだものの、それでも、1年を365.25日としているので、実際の365.2422日との間で、
400年で3日程度ずれることとなる。このユリウス暦は BC45年~AD1582 のほぼ1600年以上の間つかわれていた。
≪太陽暦:グレゴリオ暦≫
この400年で3日のずれをどう対処するか。
そこで、閏年の考え方を、100の倍数年で400で割れない年は平年、割れる年は閏年とした。
そして、このグレゴリオ暦が現在まで使われている。その誤差は1年で27秒というところまで進んでいる。
それはざっと計算して、西暦4800年頃にちょうど1日ずれると思われるので、そのころの我々の子孫は、
改暦に取り組んでいるかもしれない。
≪日本における改暦≫
ずっと太陰太陽暦を使っていた日本政府は、この世界標準の暦となってきたグレゴリオ暦への移行を決意した。
1872年(明治5年)旧暦11月9日、日本政府は、いままでの太陰太陽暦を廃して、翌年から太陽暦を採用すると公布した。
それは、明治5年12月3日をグレゴリオ暦の1873年1月1日にあたる明治6年1月1日にするというものだった。このように
思い切りのよい、しかも早急な改暦には、財政的な要因があったと伝えられるが、改暦そのものは、時代の流れとして
必要不可欠なものだったのだろう。
しかし、旧暦の元となった月の満ち欠けは自然界や私たちに大きな影響を及ぼしていることは確かだ。
旧暦は、そんな自然界のリズムと私たちの営みをリンクするためのカレンダーだったのかもしれない。
≪中秋の名月≫
長い前置きとなりましたが、本題の中秋の名月の話題へ入りましょう。
旧暦では、7月8月9月の三か月を秋としていて、ちょうどその真ん中、旧暦8月15日が中秋、その晩にあがる月を
「中秋の月」と呼んでいる。更に、この頃の月が一番きれいに見えることから「中秋の名月」と呼ぶようになった。
旧暦の毎月15日の月が十五夜ですが、単に十五夜と言えばこの日を指し、古来より各地で、お月見の行事が盛んに行われてきた。
さて、旧暦は月の満ち欠けを元にしているので、当然15日に満月がくるものと考えます。
しかし、、、必ずしも、旧暦15日が満月になるとも限らないのです。1日、2日ずれることが多く、むしろ、満月となることの
ほうが稀なのです。それは、月の軌道が楕円なので、きれいに等分に月が満ち欠けしているとも言えないからです。
それはそれとして、さて、お待たせ、2023年の中秋の名月は、旧暦の8月15日を今の暦に当てはめて、
「2023年9月29日」となります。そして、なんと!今年はちょうど満月となります。あたりまえじゃないか、と言うなかれ。
2024年から6年ほどは、中秋の名月と満月が同一日となりません。したがって、今年はこころおきなく、中秋の名月を愛でる
ことができるここ3年間の最後の年となります。
一方、七夕については、毎年のお祭りの日付がかわるのも分かり難い、ということなどで、単に一カ月あとにずらした
月遅れの8月7日の日程も世間で使われていたりします。
つまり、2023年の場合、
七夕:7月7日 月遅れの七夕:8月7日 伝統的(旧暦)七夕:8月22日
というぐあいに、七夕には3つの日付が存在するのです。
お盆においても 7月15日を中心に行う 7月盆「新盆」
8月15日を中心に行う 8月盆「旧盆」「月遅れ盆」
旧暦の7月15日に合わせて行う 「旧暦盆」
の三つがあります。
しかし、「中秋の名月」においては、満月にならなくては意味がないので、その日は一つしかありません。
2023年 9月29日 です。
古来、人々はこの夜の月を愛でて、供え物などしてきました。その源は、七夕と同じように中国ですが、
唐の後半ごろから詩にも詠まれています。中でも有名なのは、11世紀始めに編纂された和漢朗詠集にある、
「八月十五日の夜、禁中に独り直(とのい)し月に対して元九を憶う」という長い表題の白居易(白楽天)
の作品です。
その歌全文は漢詩で理解が難しいので、和訳したものをここに載せます。
銀大門やきらびやかな宮殿では、夜が静まり更けていく。
私は一人で宿直をし、あなたのことを思いながら翰林院にいる。
十五夜の空に昇ったばかりの月の光を
二千里離れた土地にいる古くからの友人は この月の光をどう感じているのか
元縝のいる江陵にある渚宮の東側では、もやの立ち込める水面が冷たく
私のいる宮廷にある浴堂殿の西の辺りでは、
時を告げる鐘や水時計の音が深く響いている。
やはり恐れるのは、この清らかな光を、私が眺めているのと
同じように君が眺められていないのでは、ということだ。
君のいる江陵は土地が低く湿気も多く、秋の曇り空が多い。
月や星に臨んだときに、遠くにいる誰か(恋人?家族?友人?)が、やはり、この月、星を同じ思いで
眺めているかもしれない。そのように遠くにいる人へ思いを馳せることがあります。
この一体感は、天体をみるときの独特の感性かもしれません。
さて、この白居易の詩の一節は、源氏物語の「須磨」の巻にて光源氏がこの詩を朗詠する、という形で登場します。
こころならずも都をしりぞいた光源氏が、この満月をみて、都の華やかさを懐かしみ、恋慕する藤壺や兄、朱雀帝
を思い出す、という名場面に登場します。白居易においては、”清らかな”という形容の月の光ですが、
光源氏にとっては、都の煌びやかな生活を彷彿とさせる懐かしくも深い寂しさを誘う存在だったのでしょう。
小説全体にも、名月は4回登場し、その場面場面の「寂しさ」「懐かしさ」「はかなさ」を象徴し、月は日本文学の
「哀れ」を感じさせる筆頭の対象だったのでしょう。
満月は毎月やってきますが、この中秋のちょっとひんやりした澄んだ空気の中で眺める月は最高ですね。
9月29日、晴れますように!
「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」 よみびとしらず