星図はStellaNavigator11より

 

8月9月の観望会は、チラシのようになります。日程表はこちらを参考にしてください。 
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真夏の夜空 → 天の川 → 銀河鉄道の夜 と言う風に夏と言えば、このファンタジーの世界です。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、”なんちゃって星空案内”などやっている私にとっては、
バイブルのような存在で、真夏の夜にクーラーのきいた部屋で、この本をひも解くのが毎年の恒例行事。 ご存じない方もいらっしゃると思うので、ざっとこのお話を紹介させていただきます。
このファンタジーのあらすじとところどころ感想など。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治(1896-1933)の書いた童話作品。孤独な少年ジョバンニが友人カムパネルラと
銀河鉄道を旅する物語で、宮沢賢治の代表作の一つ。 賢治自身は、天文ばかりでなく、鉱物、植物、自然、科学、宗教など、いろいろな知識に満ちていた人で、
そうしたものすべてを融合させて独自の異国的な世界観をつくりだした「銀河鉄道の夜」はまさにその結果
生み出された大人のファンタジー作品のよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ≪午後の授業≫ 物語は「午後の授業」という場面からいきなり始まる。 授業の中の会話を通して、昭和初期にやっと
わかってきた天の川銀河のことが語られるが、同時に二人の少年の関係性が表現されている。   「この白く流れるぼんやりとしたものが何なのか、あなた方は知っていますか?」と先生は尋ねる。   ジョバンニは知っていた。しかし、昨夜のバイトの疲れからか、なんだか頭がボーとしていて、
手を挙げてそれを説明する気持ちになれなかった。なぜだかジョバンニは答えない。
  そこで先生は勢いよく手を挙げていたカムパネルラに答を求める、しかし、、、カルパネルラも、
  またもじもじして答えなかった。   この白い川のような帯が多くの星であること。それを二人は知っていた。   というのも、先日、カルパネルラの家で、ジョバンニとカルパネルラは真っ黒なページいっぱいに
白い点々のある美しい天の川の写真を二人でいつまでも眺めて見ていたのだ。だから、彼がそれを
忘れてしまったはずはない。それなのに、カルパネルラが答えなかったのは、ジョバンニが語らな
  かったことを、自分だけ答えることなどできなかったのだろう。最近、ジョバンニは活版所の仕事も
つらく疲れていることを彼は知っていた。 ここのところの、心をかよわせる二人の少年の関係性、そして、カルパネルラが、ジョバンニが
どのような子なのかがわかる、私のお気に入りの場面だ。 そして、天の川についても語られる。 それを今の表現でまとめると ・天の川は無数の星のかたまりであること ・天の川の星々は太陽のように  自分で光っている星たちであること ・天の川は凸レンズ状であること ・太陽や地球は天の川にあること ・地球からその凸レンズの中心方向と反対方向を見ると、  ガラスが厚いので、それだけ星が多く光の帯となって  見えること ・この凸レンズ状のものを「銀河」とよぶこと まだ、銀河について解明され始められてきた時代に、賢治はかくも明確にこの童話の中で「天の川」を語った。 ≪ジョバンニを包む貧しい環境≫   次に、学校が終わり、バイトをして家へ帰る暗くて辛いジョバンニの日常が描かれる。   ジョバンニの母親は、病気で寝ている。ジョバンニの父親は遠洋漁業に出ていて
ずっと家に帰ってきていない。貧乏な生活の中、病気の母親を支えるため、ジョバンニは、
  活字拾いのアルバイトを学校の帰りに行い、健気に母親を支えている。 ≪銀河鉄道の旅の始まり≫   そして、ケンタウルス祭りの夜、祭りへ向かうザネリたちと出くわすのだ。
  そのザネリの一行の中にカムパネルラがいることが寂しい。ジョバンニはザネリにいじわるな言葉を
浴びせられ、たまらなくなって天気輪の丘の上へ走って登った。そこにジョバンニが寝転がると、
いつしか彼は列車に乗っていて、その列車がゴトンゴトンと動き出す。
ここからいよいよ、銀河鉄道の旅が始まり、空想の世界へ旅立つ。
鉄道マップは上に示すもので、停車場としては、「銀河ステーション」から「サザンクロス」への旅であり、
星座としては、北十字と呼ばれる「はくちょう座」から「みなみじゅうじ座」へと導かれる天の川に沿った
沿線となる。それは夜空を旅することなのか、いや、その銀河の岸辺にはリンドウの青い花が咲き乱れ、
ススキの穂が金色に輝いていることが描かれる。そう、これは銀河であり、同時に賢治のふるさと岩手の
北上川の風景である。その二つが一体となったものだ。 各停車場での不思議な体験や乗り込んでくる人たちとの触れあいと対話からなるエピソード
(いや、エピソードと言うには重たいが)には「本当の幸せとは何なのか?」というジョバンニの
問いかけがある。それは賢治が追い求めた死生観であり宗教観だったのだろう。
ルートに沿ってエピソードを見て見よう。 『銀河ステーション』   どこかで不思議な声が「銀河ステーション」と言ったと思うと、ぱっと目の前が明るくなった。
  気が付くと、ジョバンニは軽便鉄道に乗っていて、目の前の青いビロードの座席にカルパネルラが座っていた。    「ザネリはもう帰ったよ。おっかさんは僕を許してくださるだろうか」とカルパネルラは語る。
ここに、カムパネルラの置かれた世界が示されるが、今のところ読者にはわからない。
彼は手に地図(星座版)を持ち、そこには11の停車場、三角標、泉水、森が、青、橙、緑の美しい光で
散りばめられていた。銀河の岸辺には、銀色の空に芒がさらさらさらと揺れ動いていて、リンドウの花が
咲いている。
 「銀河ステーション」は白鳥の停車場の前の駅なので、はくちょう座の北西あたりだろうか。 『白鳥の停車場』   きらびやかな銀河の川床を水は声もなく形もなく流れ、その流れのまん中に後光の指した
青白い一つの島が見えてくる。その島のいただきに、目の覚めるような白い大きな十字架が立っている。
それはもう、 凍った北極の雲で鋳たようなすきっとした金色の円光をいただいて、静かに永久に立っていた。   気が付くと、辺りにはハレルヤの声が沸き上がっていて、車室の中の旅人は皆指を組み合わせて祈っている。
はくちょう座は、その星座絵から白鳥の姿を想像しやすく、また、十字架にも見える。星座が西の空に沈むときは、
まさに、十字架として沈んでいくので、南十字星に並んで「北十字」と呼ばれる。 『プリオシン海岸』 プリオシンとは、地質年代で言うと新生代第三期の「鮮新世(pliocene)」を指す。地質学に精通していた
賢治らしい下り。   ジョバンニとカムパネルラは白鳥の停車場で列車を降りて、きれいな河原へ歩いて行く。
カムパネルラは、その河原の砂を手にとり、手のひらできしきしとさせると、「これは皆水晶だ。
  中で小さな火が燃えている。」と言う。透明な水素よりも透き通った水のなかに、煌めく宝石のようなものが
  あった。そこにいた地質学者の大学士は、「ここは120万年前、第三期のあとの海岸です。」と言う。 この作品を通じて漂う「透明感」をまさに色濃く感じさせる下りで、この作品のクールなたたずまいを
いっそう際立たせている。 『鳥を捕る人』   背中のかがんだ赤ひげの男が隣の座席に座った。がんやさぎの鳥を捕まえ、それを袋に入れている。
  袋に入れるとその鳥は押し葉になり、食べられるという。ジョバンニは、それをもらって口に入れてみたが、
  チョコレートとしか思えなかった。 ファンタジーぽい微笑ましいくだりともいえるが、ジョバンニはこの男を気の毒に思い「本当にあなたの欲しい
ものは何ですか?」と尋ねようともしている。不思議に物悲しい場面でもある。 『アルビレオ観測所』 星空が好きな人なら知っている北天で一番美しいと言われる二重星「アルビレオ」をその題材としている。
白鳥のくちばしに位置し、ベガとアルタイルの間にさしはさむように存在している。はくちょう座の中では、
高度が低い位置にあり、銀河鉄道を南下していることから、「白鳥区のおしまい」に位置している。
オレンジ(3等)と青白い(5等)星のペアで、その色の対比が美しい。これを賢治はトパーズとサファイヤと
表現した。この二つの石が互いに回り合って、天の川の水の速さを測る装置となっている。そしてそこが
「アルビレオ観測所」という設定だ。互いの重力の影響を及ぼし合ってぐるぐると星が回る、というのは
連星といい、単に同じ方向に見える二重星と区別される。が、このアルビレオについては連星か単なる二重星かは
いまだに決定打がないようだ。 いずれにしても、賢治はその連星の概念をうまく取り入れて、このアルビレオ観測所を設定した。
私は、このトパーズとサファイヤの二重星を観察するときには、天の川の水流がそこに流れていることを
思い描いている。
『鷲の停車場』						
三つ並んだ小さな青白い三角標が鷲の停車場あたりのようであり、これはアルタイルとそれを挟んだ
上下二つの星を合わせた3つの星のことだろう。そして、孔雀がいるあたりから、川は二つの分かれる。
このあたりから天の川銀河は、「バルジ」と呼ばれる星とガスが密集したあたりとなる。
暗黒帯が光っている天の川の前に立ちはだかるため、まるでそこには銀河はなく、川が二つに分かれて
いるように見える。
天の川銀河の中心のバルジのあたり 暗黒帯により川が二つにわかれるように見える (ESA/GAIA/DPAC)
					
  リンゴの匂い、野茨の匂いが漂い、西洋風の男の子、青年、女の子が乗り込んでくる。
  「船が沈んでしまったの」「私たちは神に召されるの。」					
1912年のタイタニック遭難事故がこの辺りの挿話のヒントとなっている。青年は子供たちの家庭教師だったが
「他の子供を押しのけて、この子たちをボートに乗せるよりも、このままボートには乗らず、神の御前に
みんなで行く方が本当の幸せではないか」と語る。この物語のテーマ「本当の幸せと自己犠牲」が語られる。 この川が二つに分かれたあたりから、 赤い帽子をかぶった男が登場し、無数の渡り鳥に信号を送り交通整理をしている。ここもファンタジーな場面。 また、このあたりの地平線の果てから美しい音楽「新世界交響楽」が流れてくる。なぜに新世界交響楽なのか? ここで、賢治はこの列車を追いかけるように馬で走るインディアンを語り、「この辺りはコロラドの高原」と
ジョバンニに想わせている。インデイアンは唐突のようだが、このいて座の南に位置する南の星座で我々には
馴染みはないが、確かにインデイアン座があこのあたりにある。ドボルザークの新世界は、アメリカという
新天地へ渡ったドボルザークがその地(新世界)よりはるか故国を思いそのノスタルジーを作曲したと言われる。 インディアン座 → アメリカ大陸 → 新天地 → ノスタルジー → ドボルザークの新世界 そんな繋がりでここのこの曲が登場するのだろうか。 『双子のお星さまのお宮』 低い丘の上に、小さな水晶でこさえたような二つの御宮が立っている。この「双子の星」とは冬の星座の
ふたご座のことではなく、さそり座の尾の部分に仲良く二つ並んでいる二重星のことだ。賢治は、若い頃、
この二つの星を題材に、「双子の星」という童話とも詩とも言えるものを書いている。
実際には、さそりのしっぽにあるλ(ラムダ)2等星とυ(ウプシロン)3等星の二つの星のことであり、
きれいに並んでいるところからこの水晶でできたかわいらしいお宮の話を書いた。 さて、この列車は今、さそり座の辺りを通過している。   『蠍の赤い火』   まもなく、向こう岸に、大きな真っ赤な火が燃やされ、桔梗色の冷たそうな空をも焦がさんと燃えている
のを皆は目にする。すると女の子が「私、蠍のお話を知っているわ」と語りだす。   「小さな虫を食べて生きてきた嫌われ者の蠍が、イタチに食べられそうなったとき、必死に逃げて、
井戸に落ちて死んでしまう。そのとき、蠍は思う。「こんなにむなしく命をすてるくらいだったら、
どうして自分の体をイタチにくれてやらなかったのか。どうかこの次には、みんなの真の幸いのために、
私の体をお使いください。」と神に祈った。すると、蠍の体は真っ赤な美しい火となって燃え、
闇を照らし始めた。それが今も輝き、周りの明かりが蠍の形に光っている。
蠍の赤い火:アンタレスと 蠍の尾にある「双子のお星さまのお宮」
この赤い光とは、さそり座のα星アンタレスのことだ。					
「見て、そこらの三角標はちょうど蠍の形になぞらえることができる。」とカムパネルら。そう、このお話の中に、
無数に出てくる三角標とは、測量の際に三角点の上に置いて用いる角錐形の標識の事だが、このファンタジーの
中では、星座線を構成する星座のひとつひとつの星を表してる。 その音もなく、明るく燃える蠍の火を後にして、この銀河鉄道の旅は、いよいよ、地平線の彼方へ。
日本からは見ることのできない南半球の空の世界へ入っていく。 『南半球へ』   ケンタウルスの村へはいってきた。そこではケンタウルス祭りをやっていて、クリスマスツリーのように
  真っ青な唐檜かもみの木が立っていて、たくさんのたくさんの豆電球がまるで千の蛍を集めたように
  ついていた。   「もうじきサザンクロスです。降りる準備をしてください」と青年が言う。   そのとき、見えない天の川のずっと川下に、青や橙やあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで
  一本の木のように川からすっと立ち、輝いていた。列車の中がざわざわとし、皆、北十字の時のように
  お祈りを始めた。列車を降りたくないという子もいたが、ここが天井へ行くところだから降りなくては
ならないよ、と諭されて、皆列車を降り、その輝く十字架のもとへ歩いていく。   そして、天の川の渚に膝まづいていると、白い神々しい人が皆を導き寄せた。 『カルパネルラとの別れ』   皆ががいなくなり、がらんとした列車の中で、たまらなくなって、ジョバンニは   「カルパネルラ、また二人きりになったね。どこまでも二人で行こう。僕は蠍のように皆の本当の幸いの
ためなら焼かれたってかまわない。」   「僕もそうだ」   「ああ、あそこが石炭袋の穴だ。」
とここに、石炭袋が登場。深くて深くて、吸い込まれそうな穴と表現され、私ははじめ、ブラックホールの
ことをいっているかと思ったが、どうも、これは銀河の暗黒星雲のことらしい。   「こんな穴も怖くない。僕はみんなの本当の幸いを探しに行くことができる。僕たち一緒に進んでいこう。」   「ああ」 ジョバンニは、カルパネルラのこの不確かな壊れそうな存在感に、どうしても、彼の気持ちを確認せずには
いられなかったのだろう。   「カルパネルラ、ぼくたち、一緒に行こうねえ。」と3度目にジョバンニが言った。
  しかし、もうカムパネルラの返事は返ってこなかった。姿はどこにもなく、ただ静寂だけがあった。   ジョバンニは、列車の窓に身を乗り出して叫び、そして泣いた。 『旅の終わりとカムパネルラの死』   ここで、鉄道の旅は終わる。   気が付くとジョバンニは、天気輪の丘でねころがっていた。   直ぐに起きだして丘をくだると、今晩、川に子供が落ちたことを聞く。それはザネリを助けようとした
  カムパネルラだった。   呆然とたまらない思いをいだいて、家へ急ぐジョバンニだった。 『賢治が問い続けたもの』 この物語は、自分の命を投げ出してまでザネリを助けたカムパネルラの精神を通して、「本当の幸い」とは
何かの答をみつける旅の物語ともいえる。 自然と人、人と人とはお互いにかかわりあってしか生きていけず、賢治の「皆の幸せのために自己犠牲を
実践すること」こそが本当の幸せではないか、という信念を感じることができます。 それはかなり、宗教観の強いものともいえますが、いずれにせよ、賢治がこの物語の中で、彼の持つ
天文への憧れと探求心、そして、科学技術者としての物理化学の探求と、宇宙、地球、そして地質など物性の
歴史観、そして死生観、宗教心、そうした彼の持つあらゆる知性と理性、そして、感情と心、を総動員して、
ここに、輝かしいまさに不朽の名作を創作したことに深い尊敬と憧憬を感じずにはいられません。 と言っても、この作品自体は未完と言われており、推敲に推敲を重ね、彼が亡くなった時に残されていた
第4次稿をもって広く世間に知られていますが、それは、今の天文学が「今理解されている天文学」に過ぎないと
いう側面を、同時にこの作品も併せ持っているような不思議なものを感じます。

参考図書:『銀河鉄道の夜』(新潮文庫、1989年)
     『誰でも楽しめる星の歳時記』(浅田英夫、2012年)

伊良湖天文クラブ  菱田恭子
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